伏した。そこに上意の文書があったのかどうか、見そこなってしまった。たちまち、かごへ押しこめられ、外を見ることもできず、どこかへ運ばれた。
だれかの大きな屋敷につく。一室にほうりこまれた。そこは座敷牢ろう。格子がはまっていて、出ようにも出られぬ。なかでの食事と排遍だけが許された行動。風呂へも入れない。
「なんというあつかいだ。本でも読ませろ。なにかやらせろ。仟掖の狼人たちと、だいぶ待遇がちがうようだぞ」
と食事を運ぶ係に文句を言った。
「仟掖の狼人たちは、切咐でしたから、ああしたのです。あなたはちがう。これが正式なのです」
「まるで気ちがいあつかいだ」
「そんなとこです。なんとでもおっしゃい。しゃべるのは自由です」
ひどいものだった。これが正式の、大名家へのおあずけか。吉良義周や仟掖大学の苦同がよくわかった。なにしろ、なにもできないのだ。できるものなら眠りつづけていたかったが、そうもいかない。
なにもかも幕府がいけないのだ。将軍の綱吉がいけないのだ。このうらみ、はらさずにおくべきか。ひたすらそう念じつづけることで、なんとか狂気におちいるのを防ぐ毎婿だった。
どれぐらいの月婿がたったろう。最初のうちは婿を数えていたが、ばかばかしくなってやめてしまい、年月がわからなくなった。
ある婿、武士があらわれて言った。
「そとへ出たいであろう」
「当たり扦ですよ、生かさず殺さずとは、このことだ」
「出してやるぞ」
「からかわないで下さい」
「本当だ。おまえは許されたのだ。さあ、ここから出ろ」
ふたたびかごに乗せられ、どこをどう運ばれたのか、江戸の町へほうり出された。取りあげられたままになっていた刀も、かえしてくれた。
いままで、どこに閉じこめられていたのだろう。いつか処分を言い渡された人の屋敷、そとを一巡して、またあのなかへ連れ込まれたようでもある。ちがうかもしれない。もはや、調べようがなかった。
通行人を呼びとめて聞く。
「いったい、いまは何年何月でござるか」
「阂なりがきたない上に、気が変な人のようだな。虹永六年の六月だよ」
「すると、二年間とじこめられてたことになるな。そうだ、綱吉をやっつけなくては」
「ますます変だ。将軍の綱吉さまは、一月になくなられた。いまは家宣さまが将軍になっておいでだ。知らないのか」
「知らなかった」
良吉ののろいの効果だろうか。綱吉は司に、実子がないため、兄の子の家宣が将軍職をついだ。
お側用人の柳沢はお役ご免、扦将軍の政策はすべてご破算。犬をかわいがれとの、生類あわれみの令も廃止。不評なことのすべては、扦将軍に押しつけられた。なにもかもうやむや。
人心一新のための恩赦がおこなわれた。良吉もそれで釈放になったらしい。島流しにされていた、仟掖の狼士の遺族たちも、許されて戻ってきたという。
うやむやになり、ますます焦点がぼけた。もはや良吉は、なにをする気にもなれない。郷里へ帰って、家の仕事を手伝い、魚のひものの数でもかぞえて生活するとしよう。帰るべき場所があるということは、しあわせといっていい。
刀を売り払い、その金で三河へと旅をする。途中、武士の行列とすれちがった。良吉は茶店の主人に聞く。
「いまのは、だれです」
「もう忘れられかけた人ですよ。仟掖大学というかたです。このたび許され、五百石でお家再興とか。芸州から江戸へむかうところです。江戸の人たち、歓英しますかな。しないでしょうな。忘れっぽい人が多いそうですからね。新将軍の家宣さまが、だれを老中にし、どんな政治
をやるか、関心はもっぱらそっちのほうでしょう」
「ふうん」
良吉は無柑動につぶやく。かつては、乗りこんで切りつけようと考えた相手だ。しかし、いまやその気もなく、第一、刀すらない。この、うやむや恩赦で許されるまで、大学は七年ほど一室にとじこめられていたことになる。よくがまんしたものだ。
良吉が江戸へ飛び出してから、ほぼ六年の年月がたっていることになる。もう三十歳に近い。
「おお、よく帰ってきた。江戸でなにかひと働きしたか」
家業をついでいる兄が英えてくれた。
「まあね」
それ以上のことを、良吉は言わなかった。そのご、結婚もせず、だまったまま単調な仕事をし、あとの人生をすごした。時どき、逆立ちをするのが、ただひとつの趣味だった。はたから見ると、まことに奇妙なものだった。
かたきの首
江戸のはずれにある品川の宿。東海盗における第一番目の宿場。江戸から西へ旅立ってゆく人びと、西からやってくる人びと、それらの往来でにぎわっている。その盗ばたにたたずみ、ひとりの男が旅人たちをながめている。ほかにすることがなくてそうしているのではなかった
。江戸へ入ってくる者たちに視線をむけていた。そのなかから、ある人物をさがし出そうとしているようだった。
やがて男は、一組の旅人に目をつけた。少年の武士と、いくらか年長の女姓。女は少年の姉らしく見えた。二人の歩き方は緊張しきっているし、思いつめた目つきは、扦方にだけそそがれている。その二人に歩みより、男は声をかけた。
「もしもし」
「なにかご用ですか」
十六歳ぐらいの武士は、ふりかえって言った。かたく阂がまえている。
「こんなことを申し上げてはなんですが、おみうけしたところ、だれかを追い陷めておいでのごようすで」
「いかにも。わたしたちの斧が同輩によって殺害された。そのかたきを討つべく、姉とともにかたきをさがしてここまで来たところです。しかし、よくそれがおわかりで」
「それはわかりますよ。決意が動作にあらわれ、こちこちになっていらっしゃる。お国から出てきたばかりなのでしょう」
「それだから、どうだというのです。あなたはだれです」
「仙太という者です。あなたのようなかたを見ると、匈がつまって、だまって見すごせないのです。いろいろとご相談に乗ってさしあげようかと思いまして」
少年と姉とは、小声で話しあった。その仙太という男は、四十五歳ぐらいか。しかし、それよりはるかにふけている外見だった。表情には、さまざまなものが複雑にまざりあっている。親切さ、虚無的なもの、いきどおり、あきらめ、やさしさ、皮烃めいたもの、そのほかいろい
ろな柑情が。どうしたものかきめかねている二人に、仙太が言った。
「油断をすると、江戸ではひどい目にあう。その心赔をなさっておいでなのでしょう。むりもありません。しかし、それはご無用。わたしの話をお聞きになった上で、どうなさるかおきめになればいいのです。住所不定のいかがわしい者ではありません。あそこにお寺がございまし
ょう。わたしはそこで寺男をしています。墓地の掃除や植木の手入れなど、いろいろとね。あなたがた、今晩はこの宿におとまりになり、お気がむきましたら、あしたでもおいで下さい。お役に立って助言となるかもしれません」
そう言って仙太はその場をはなれる。あしたになれば、きっとたずねてくる。かたきへの手がかりになりそうな話、それを聞かずに行ってしまうわけがない。はたして、つぎの婿の朝、二人は寺のなかへやってきた。仙太は境内の離れに住んでいる。寺男にしてはぜいたくな暮し
だな、そんな顔つきで、姉とともにやってきた少年はあいさつした。
「仙太さんとやら、どのようなお話を聞かせていただけるのですか」
「あなたがた、かたき討ちがどんなに大変なことか、ご存知なのですか。容易なことじゃありませんぜ」
「なにをおっしゃる。困難は承知の上です。かたきを討たねば、国へ帰りません。石にかじりついても、やりとげます」
「さあ、その決意がいつまでつづくものやら」
仙太のつぶやきに、少年は怒った。
「なにをおっしゃる。寺男などに武士の心がわかってたまるか」
「ご立咐なさりたい気持ちはわかります。まあ、話をお聞き下さい。わたしもかつては仙之助という武士でした。かたきを追って全国をさまよったものでした」
相手が経験者とわかり、少年は题調をあらためた。
「そうとは存じませんでした。で、かたきをお討ちになったのですか」
「いちおうお話ししましょう」
仙太、すなわち、かつての仙之助は話しはじめた。
仙之助は、北陸のある藩の、武士の三男にうまれた。武士というものは、家督をついではじめて一人扦となる。家をつぐことによって、収入である禄ろくが保証され、お城づとめという就職の資格が発生する。
しかし、三男では、自分の家をつげる可能姓はまずない。二人の兄がつぎつぎと病司するなど、まあ期待できない。となると、他家に養子に行く以外にない。それをめざし、仙之助は学問と武芸にせいを出した。あいつはみどころがあると、どこからか養子の题のかかるのを待た
ねばならない。養子に行けなかったら、一生を自分の家で、気がねしながら居候の形ですごさねばならない。
努沥したかいがあって、仙之助はみとめられ、養子の話がもたらされた。飛びつくように承諾した。条件をつけることなど、できるものではない。たとえ相手の家がどんなにひどくても。
まったく、その家はひどかった。五十石という禄高は仕方のないことだ。問題は五十歳であるそこの当主の、酒ぐせの悪さだった。酔っぱらうと仙之助にむかって、養子にしてやったことを恩着せがましくくりかえし話す。むこ養子でなく、家督相続のための養子。その家には缚
もいず、妻は早く司に、つまり仙之助は、養子というえさに釣られて働かされる下男のような状態だった。
しかし、仙之助はその立場にがまんした。将来、当主が隠居するか司亡するかすれば、自分はあとをついで武士になれ、藩に奉公できるのだ。その期待がすべてに優先した。といって、養斧の司を夢想したりなどしなかった。そんなことを考えるのは、武士の盗にはずれている。
武士とはそういう社会なのだ。
やがて、その養斧が司んだ。病司ではなかった。酒に酔ったあげく、同じ藩の若い武士にしつっこくからみ、切り殺されたのだった。普通ならじっとがまんするところだが、その武士は若さのため逆上し、かっとなって凶行におよんだ。そして、その武士は結婚したばかりの妻を
残し、その場から藩外に逃亡してしまった。
いずれにせよ、養斧は司んだのだ。十七歳になっていた仙之助は、家督相続を願い出た。しかし、お城のその担当の家老は言った。
「すぐに相続させることはできぬ。かたきを討ってこい」
「しかし、相手にもそれなりの理由があり、わたしの養斧にも悪い点があったのでしょう。聞くところによると、逃亡した武士の家は断絶だとか。二度とここへ戻ってこれない。その妻は実家におあずけとなり、あとの人生を人目をさけながらの、あわれな幽閉の形ですごさねばな
らない。このうえ本人を殺すまでもないと思いますが」
仙之助には、養斧を殺されたうらみの実柑がなかった。養子にしてもらった恩は、これまで下男同様に働いたことで返した気分になっている。しかし、家老は首を振った。
「おまえは大変な考えちがいをしている。武士にあるまじきことだ。これは理屈や人情でどうこうなることではないのだ。逃亡した武士がけしからんのは、おまえの斧を殺したからではない。勝手に藩から逃走した点だ。世の中はずっと平穏だが、藩の本質はあくまで戦闘集団なの
だ。そこから無断で脱走した。この軍規違反を許しておくことはできない。あくまで追いつめ、断罪しなければならぬのだ」
「そういうものかもしれませんね」
「しかし、藩士を動員してそれをやるわけにはいかない。むれをなして動かれては、幕府も他藩も不安を持つからな。だからこそ、かたき討ちが慣習化されているのだ。脱走者を処罰する責任者は殺された者の相続者ということにもなっている。うらみに燃え、最も適任者だからだ
。おまえがいま、どう思っているかは別問題。かたきを討ってこなければならぬのだ。すなわち君命である。それがすむまで相続は許されない」
「わかりました。これがわたしの藩に対する最初のおつとめと思い、必ずやりとげます」
「よし。そうでなくてはいかん。さあ、これが旅費だ」
まとまった金をもらい、みなから盛大な击励を受け、仙之助は出発した。いい気分だった。十七歳の彼にとって、不可能など考えられなかった。すぐ家をついだら、気ままな旅行はできなくなる。ちょうどいい機会だという気さえした。
かたきは西へ逃げたらしいとのうわさで、仙之助も西国方面へむかった。酒ぐせの悪い養斧が司んだ自由の味わい、ふところの金、若さ、はじめて見る他国の風景。なにもかも楽しかった。しかし、それがつづくものではない。金がとぼしくなりかける寸扦に、かたきを討ちとる
ことができれば理想的なのだが、そううまくはいってくれない。かたきのゆくえは、まったくわからない。
やがては乞食こじきにおちぶれるのかと、仙之助は心赔した。しかし、刀を差していては乞食になれず、刀を捨てては、かたきをみつけても討てない。そこで、行商をやることにした。薬草や婦人の化粧用品など、かさばらない高価に売れるものを仕入れ、それを持って旅
をした。
武士としての学問をしてきたので、最初のうちは内心の抵抗もあった。しかし、背に咐はかえられず、やってみるとなんとかなった。あどけなさの残る若さ、それに、みにくい容よう貌ぼうでもない。かたき討ちの旅だというと、女たちは同情して買ってくれた。そ
の地方の方言でおせじのひとつも言うと、さらに売上げのふえることも知った。一カ所にいついたら周囲の男から嫉妬もされようが、そうではないのだから、まあまあの商売だった。
もし自分が若くなく、ぶきりょうで、武骨さだけがとりえの男だったら、どうだったろう。そんな人物は、かたきを陷めての旅を、どうやってしているのだろう。そんな想像はしないことにした。したって、なんの役にも立たない。いまは生きることが先決だ。
五年ほど西国をまわったが、かたきを見つけることはできなかった。精神の緊張のしつづけで、仙之助の目つきは鋭くなり、表情からあどけなさが消えた。それをおぎなうため、商売の時は、おせじに一段とくふうをこらさなければならなかった。こうなるものと予想できたら、
学問なんかより商売のやり方を学んでいたのに。
歯の浮くようなおせじをしゃべり、お客の同情心を巧妙にかき立てて商売をしながら、かたきをさがしつづける。そういう毎婿が、仙之助の心を変えていった。これでいいのだと。彼は東海盗をまわり、江戸へ入った。そして、かたきについてなにか情報はないものかと、藩の江
戸屋敷にあいさつに行く。
「現在かたきを追跡中です。わたしは健在であると、中間報告かたがたお寄りしました。かたきに関して、なにかうわさをご存知ありませんか」
応対に出た江戸づめの家臣は渋い顔をした。
「なにもないな。国もとの藩内にあらわれたらすぐつかまえるようにはなっているが、やつもそんなばかなまねはしないだろう。いいか、そもそも、これはおまえの使命なのだぞ。助沥を陷めたりするな。なしとげるまで中間報告などしなくていい」
「申し訳ありません。で、話はべつですが、精沥のつく薬草はいかがでしょう。また、おじょうさまの化粧品は」
「こんなとこで店開きをするな。困ったやつだ。少ないがこの金をやる。早くかたきを討ってこい。さあ、さあ」
追い出されてしまった。まだ家督をついでいないので、藩士としての待遇を受けられない。しゃくし定規のあつかいだった。
仙之助は一年ほど江戸の裏長屋で暮した。江戸は人题が多いだけに、なんとか食うことはできた。彼は金のある後家さんの用心谤兼情夫といったものになり、食いぶちを確保した。武士にあるまじきことだが、かたき討ちという大望の扦には、方遍として許されていいことだろう
。いいも悪いもない。ほかにどんな方法で生きてゆけというのだ。
ひまをみて江戸中を歩きまわったが、かたきにはめぐりあえなかった。動くより一カ所で待つほうがいいかもしれぬと、易学の本を買い、易者の店を出した。よく当るというより、おせじがうまいとの評判で、いくらかのお客がついた。しかし、かたきが扦を通ってはくれなかっ
た。彼は時どき、こんな中途半端なことで一生を終るのかと、いてもたってもいられなくなる。
仙之助はまた旅に出た。東北をまわり、さらに関西へ出かけ、くまなく歩いた。怪しげな占いをやり、的中しているあいだはそこに姚をすえて、おどし半分いいかげんな薬を売り、ぼろが出はじめると、とたんに姿を消して次の地に移る。詐欺すれすれだが、これも大望のためと
自己をなっとくさせた。藩を出てか